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ことばの森

日々の生活の中で心に残ったことばを紹介していきたいと思います。

基礎がなってない!

つい最近、仕事で漢文の読み下し文もろもろを作成することがありました。
いや~、自分の基礎力のなさにボーゼンです。情けなや。
漢文は好きだけど、きちんと勉強してこなかったなぁ。
助字の問題なんか、しっかり確認したことなかったわ。はずかちい。
たとえば、「者」を「もの」とよむか「は」とよむか。
「矣」を「か」「かな」「なり」とよむ場合は、どんなときか。
根拠をもって読んでいませんでしたー。ふぃーりんぐ、ですかぁ?
とりあえず「者」について、家にある資料にあたってみたところ、
『説文解字』では、
 「事を別かつの詞」
とありまして、助字とみなしています。
『経伝釈詞』では、
 「或いは其の事を指し、或いは其の物を指し、或いは其の人を指す」
といっていて、なるほど、こーゆーわけで、「は」か「もの」で迷うのね、と。
さらに、『経伝釈詞』では、「もの」とよむ場合の分類をしているようで、
―ようで、というのは、現物が手元にはなく孫引きだからです。またまたはずかちい。―
「者」は、
 人を指す場合、物を指す場合、所を指す場合、理由を指す場合
などがあるそうです。
理由を表す「者」については、
 「虞公の兵殆(あやふ)くして、地削らるる者は何ぞや」(『韓非子』)
の例がありました。
難しいですねぇ。
日本語でも、「それってひどーい」とか「そんなのありぃ?」とか
「理由」をわざわざ「理由」として言語化することはそれほど多くないような。
日本語では代用することが多いのか…。
代用するときには指示語、体言代用の格助詞を使うのかな…。
いや、接続で分かるのか…。
畑違いの分野で、私にはまったくわかりませんが、いろいろと思うことはあるわけです。
あ、この「わけ」は何でせうね(汗)。
夏目漱石や新渡戸稲造、岡倉天心など、明治のエライ人達が英語に秀でていたのは、
漢文の素読があったからだと言われています。
私、これはそうだろうな、とずいぶん前から思っていて、漢文の素読、素読できるくらいに
読み下し文のルールを理解することは、日本人の語学教育には有効なんではないかと
思っています。

今回、仕事で扱った漢文は、陳継儒の『読書十六観』。
 「不問貴賤貧富老少、観書一巻、則有一巻之益。観書一日、則有一日之益」
読み下してみると、こんな感じになりますね。
 「貴賤貧富老少を問はず、書を観ること一巻なれば、則ち一巻の益あり。
 書を観ること一日なれば、則ち一日の益あり。」
ふむふむ。
ええこと言ってますがな。

漢文・漢詩は、面白いし、ためになるんで好きなんですが、なんで今の中国は
ああなんでしょう。
検察官の定年延長がどーたらこーたらとかまびすしいことになっていますが、
あれ、もともと民主党が始めたことではなかったかしらね。
おまけに、ツイッターで最初にハッシュタグつけたの、福島みずほさんのご主人ですって?
一説によれば、渦中の黒川さんはカジノに関わる中国利権の捜査にあたっていたとか。
そういえば、最近2F爺の顔を見なくなったような気もしないでもない。
いろいろなことがあぶり出されてくる世の中です。
こーゆーのも末法の一つなんでしょうか。




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